不用品回収を依頼する前に必ずしておくべきこと

苦難も発展に変える

Haneda Army Airbase

第二次世界大戦後の米軍により羽田空港を広げるために接収されました。
最初は12時間以内に強制退去との勧告で、住民代表が決死の覚悟で交渉したため48時間以内と命じられ、地元住民は仕事道具も置いて立ち退いたそうです。
約1200世帯の他にも神社も学校もすべて撤去されました。
過酷な立ち退きを経て、瞬時にその日から羽田3町をブルドーザーで壊してならし、従前の約3.5倍の広さに空港の拡張を始めました。
整地や埋立てをして長大な滑走路のある立派な空港が完成し、米国民間機の乗り入れも始まりました。
大田区に住所を持つ羽田空港の管制塔の内部から見た当時の滑走路は輸送機や外国機のみ。
空港の施設が返還されていっても日本要員が整っておらず、管制業務は米軍委託で日米混成業務であったようです。

特殊

昭和27年頃から民間の専用ターミナル施設完成までは、空港への入退場は両面印刷された紙製「入場票」が発行され、表面は目的や行先住所氏名を記載し、裏面には注意事項として、歩道のない道路は全て右側を一列歩行、滑走地帯及び芝生に入らない、軍用建物には立入らない、紙屑は所定の場所に捨てる、禁煙場所で煙草を吸わない、見学者はみだりに待合室に入らない、反した時は退場を命ぜられます等と、内容がすべて日本語で記されています。
当時の東京国際空港に駐留者への昭和33年頃までの案内パンフレットには、、施設内の営業時間などを売店や食堂や教会等のことが書かれ、バスなどの交通手段の説明、そして司令官から、自分たちの地位は少し変わったものであって、日本政府と基地を共同管理していて、自分たちはゲストであり、一人一人が大使で、ホストである日本の人々と友好と信頼の基礎を築くことが業務です等、の内容のメッセージが書かれています。


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